NHKスペシャル「どうなる?憲法論議」での細田博之・自由民主党憲法改正推進本部長の発言には驚いた。冒頭、細田本部長は、国会が商法などの法律について「口語化」してきたことを挙げ、文語体の憲法をひらがなにといったことを言い、憲法改正の必要性を訴えたのだ。
数年前までの民法や商法には、文語体で書かれた条文が含まれていた。今もいくつかの古い法律の条文は文語体のままだ。例として、公証人法の第二十六条を見てみよう。
公証人ハ法令ニ違反シタル事項、無効ノ法律行為及行為能力ノ制限ニ因リテ取消スコトヲ得ヘキ法律行為ニ付証書ヲ作成スルコトヲ得ス
文語体の法律とはこのようなものを指し、送り仮名がカタカナで記されていたり、「できる」という意味で「得」が使われていたりするので、一般的に読みやすくはない。これならば、ひらがなにするという話の意味も通る。
しかし、そもそも日本国憲法は文語体ではない。国立公文書館のデジタルアーカイブに原本の画像がある。
ご覧の通りだ。旧字体の漢字や歴史的仮名遣いが使われてはいるものの、送り仮名はひらがなで、口語体により書かれている。
ツイッターを検索してみると、細田本部長の発言を受けて、口語化に賛成する人や口語化を憲法改正の口実にすることに憤る人など、様々な反応がうかがえる。しかし、憲法がそもそも口語体であることに気付く人は少ないようだ。参考までに有名人のツイートを貼っておく。
憲法が古い語法で書いてあるから直す?馬鹿なことを言っている。ならば文体だけ変える議論をせよ。
施行されてから71年も経って世の中が変わったから変える?
そう、変わったからこそ、絶対に憲法を弄ってはいけないような、資質に難のある不適格で問題の大きい人物が声高に変えようと言い募っている。— 松尾 貴史 (@Kitsch_Matsuo) May 3, 2018
このように、ほとんどの視聴者は、誤った前提に気づかない。これは自然言語によるコミュニケーションの最も深刻な脆弱性の一つだ。前提を操作することは、意図的であるかそうでないかを問わず、よく見られ、極めて有効なのだ。
私たちは憲法改正について、主要政党の主張を聞かされている。自由な意思の源泉である言論の自由は制限され、一部は細工された、狭い議論しか見聞きすることができない。そのような国民に、改正案の正否を判断することができるだろうか。主権者としての責任を負わせることができるだろうか。
放送された番組は著作権で保護されているので、その映像を引用して批判することは難しい。憲法改正について公人が議論をしている映像が著作権で保護され、国民による批判や検証を阻害し、又は委縮させる。
そしておそらく、この誤った前提について、国民が訂正を受けることはない。