憲法の規範性

国の最高法規である憲法の規定には規範性があり、守られなければいけません。ところが、その規定はしばしば蔑ろにされ、規範性に弛みが生じています。

 

その弛みは多岐にわたり、「通信の秘密はこれを侵してはならない」との規定があるのに通信傍受法が作られ、その適用範囲が広げられようとしていたり、国会議員の資格について財産による差別を禁じる規定があるのに財産の供託が要求されていたりします。

 

今の国会で選挙権を付与する年齢を18歳以上にする件も、「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」とする規定(成年者に選挙権を保障しているのではない)に違反しています。

 

最高裁判所には法律が憲法に違反するかしないかを決定する終審裁判所の地位が与えられています。しかし、その期待される役割や条文から逸脱していると思われる判断もあり、十分に機能してもいません。

 

憲法の規範性が弛む原因は、やはり第9条についての解釈の混乱にあると思います。「軍隊を持たないと言っているのに自衛隊がある。憲法なんて守らなくても良いんだ」という空気が、他の規定の規範性までもを弛ませてしまっているのではないでしょうか。

 

その第9条では、第二項に「国の交戦権は認めない」と明記されており、当初の解釈によると自衛戦争も放棄しています。もし、この規定を従うことで国民の安全を守ることが不可能になるのであれば、憲法全体の規範性を守るためにも改正した方が良いのかも知れません。

 

しかし、この条文で禁じられているのは「戦争」をすることで、例えば日本が武力攻撃を受けたときに攻撃国の領土を空爆したり、侵攻したりすることです。日本の領域内で攻撃国の軍隊や武装勢力に対処することは、そもそも禁じられていません。

 

条文を素直に解釈すると戦争については自衛戦争も含めて放棄していますが、攻撃国の軍隊を排除することまでは禁じられていないのです。それでも、自衛戦争も含めて戦争を放棄していると考えることに不安を感じる人も多いかも知れません。

 

ところが、これまでも実際の運用では専守防衛を謳い、武力攻撃事態にあっても「矛」の役割は安全保障条約を結んでいる米軍に任せ、日本側は「盾」の役割を果たすとされてきました。そのため、自衛隊では爆撃機などは調達されてきませんでした。

 

そして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という規定と自衛隊についても素直に解釈をすると、そもそも「陸海空軍その他の戦力」は戦争を行う軍隊を指しているのですから、盾であるなら戦闘機や戦車を装備していようとも戦力にはあたらないのです。

 

自衛隊が戦力であるかは法的な性格のことですから、見た目や大きさは関係がなく、「近代戦争を遂行し得る程度」かや「自衛のための必要最小限度の実力」かで判断しようとするのはおかしかったのです。

 

今の憲法は新憲法とも呼ばれてきましたが、実は明治憲法にあるのと同様の条文も少なくありません。例えば、旧憲法も「日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ」と通信の秘密を定め、「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」と言論や結社の自由を定めていました。

 

小さな文言の差が結果に大きな違いを生じさせてしまうかも知れない憲法の規範性が弛んでいるとするなら、今するべきは、あれやこれやと変更できそうな条文を探し回ることでも、ひたすら条文の変更に反対をすることでもないと思うのですが、いかがでしょうか?

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