どうして衆院選に?

有権者の選択肢

2012年の衆議院総選挙では「脱原発」が争点とされていました。自公民の三党合意によって消費税率を引き上げることが決められ、法律も成立し、消費税率の引き上げは争点とされなかったのです。

 

しかし、選挙は有権者が自らの国会における代表者を選ぶイベントです。「政策本位の選挙」という固定化された設定のもとで、有権者が消費税率の引き上げにNOを突きつける選択肢がなければ、有権者の選択する権利、すなわち選挙を通じて議員を選び、主権を行使する権利が侵されることになってしまいます。

 

日本共産党は消費税率の引き上げに反対していましたが、脱原発が争点とされていた事情も含めて、日本共産党の候補者を避けたいと思う有権者もいるでしょうし、私は別のいくつかの政策に対する選択肢や考え方と共に、消費税率の引き上げには反対する有権者が主権者としての意識を強く持って投票する選択肢が存在するべきであると考えました。

 

政策本位は正しいか?

しかし本来、すなわち憲法によれば、国会議員は国会における国民の代表者であって、国民に対して代表性を持つ国会議員が政治を担うことによって、主権者である国民が自ら政治を行う代表制の民主主義が、日本の政治制度であるはずです。
近年の有権者は「政策本位の選挙」という設定のもとで、およそ判断をし得ない政権公約やマニフェストから候補者を選ぶことを要求されています。当然、それらの公約をそれぞれの有権者が見比べて判断をするということは、実際には行われていません。

 

では、有権者は一体何をもとに投票しているのでしょうか? 私の選挙運動では、先ごろ話題となったような丸いビラを配ったり、走る選挙カーから名前を連呼したりといったことはしていません。顔の写真が大きく印刷されたビラを配ったり、ポスターを貼ったりもしませんでした。
もちろん、まとめサイトにあった「自動車から何かしゃべっていた」という話は人違いか作り話です。

 

実はビラを配る予定もなかったのですが、当時はネット選挙運動が解禁されておらず、ウェブサイトで公開するファイルの作成が間に合わなかったので、やむなく駅前でビラを配ることにしました。しかし、そのビラは文字とグラフで政策(正確に言うと政見)を記したもので、顔写真一つ入れていません。ビラやポスターに印刷された大きな顔写真は、「政策本位の選挙」には役に立たないと考えているからです。

 

有権者の多くにとって候補者の政見を知る唯一の機会である選挙公報にも、政策をしっかりと記しました。選挙管理委員会の方に文字が小さいと印刷できないかもしれないと指摘されて文章を省いて作り直したり、高齢の方にはビラの文字が小さいと受け取るのを断られたり…

 

ビラ

ビラ

公報

公報

ビラにも選挙公報にも、財政や政治の仕組みなどの私が特に重視する分野だけではなく、保険から防衛、もちろんエネルギーも含めて、長年考えてきた様々な政策の案を記しました。それでも、選挙によく出る陽気なおじさまたちと同類視されたり、何を訴えていたのかわからなかったという指摘を頂いたりします。

 

選挙区から一人だけ選出する小選挙区制では、各候補者には幅広い話題に対応することが求められると言われています。大選挙区制であれば、候補者は特定の領域に関心を持つ有権者、しばしばニッチな業界団体に対してアピールできれば良いとなるのですが、小選挙区制では過半数の有権者が関心を持つ領域に対応できなければならず、世代や職業を限定することができないという考え方です。
私は一人でビラを配りました。候補者本人が一人でビラを配っている、しかも全然怖そうじゃない、むしろ弱そうなやつで、これほど話しかけやすい状況はないのにもかかわらず、それでさえ政策の話をした方は数えるほどでした。
有権者の方で自身が関心を持つ、選挙公報やビラにはない問題についての質問をして下さったのはお一組だけでした。それはある職業資格に関する質問でしたが、主体的に選ぶことが本当に希であることがうかがえます。ネット選挙運動が解禁された後の参議院選挙でも、Twitterを使用する候補者はいましたが、候補者に質問をする人はほとんどいませんでした。

 

政策本位の選挙という設定が現実的ではなく、有権者がテレビや新聞の論調に流されて投票してしまったり、政党がキャッチーでわかりやすい、悪く言えば上手く騙せる政策を出して有権者を扇動してしまったり、結局は顔写真や経歴の立派さで選ばせてしまっているのではないでしょうか。

 

代議士とは何か

本来は、議員は国民の、私たちの代わり、私たち自身を代表する者であることが期待されます。しかし実際には、政党が公認する候補者のほとんど、あるいは有権者が選ぶ候補者のほとんどが、有力の政治家の子息であったり、資産家であったり、弁護士や医者などの特別な資格を持つ人であったり、さらには政治制度上の国民の代表者と対立するような官僚の経歴を持つ人であったりします。そうした特別な人たちを私たちの代わりと考えるには無理があるのです。

 

私の経歴は高校中退、つまり最終学歴は中卒です。高卒資格を取れと言われても断ってきました。現代では中卒はむしろ特別な存在かもしれませんが、この学歴は田中角栄元総理の記憶を残している世代へのメッセージです。もちろん、当時の国会においても特別であったからこそ売りになったのですが、それでも「売りになった」のです。

 

 

国会議員は国民の代わりであるという憲法による位置付けと、今日において求められている政策本位の選挙という2つの点に対応した候補者は、投票者した有権者の1.83%からの投票しか受けられずに、供託金まで没収されました。そのときの選択を、有権者は後悔するでしょうか。それとも、なお有権者が主体ではない、政党や政党候補が主体の「選挙戦」に巻き込まれることに疑問を持つことなく、あるいはテレビや新聞から伝わる空気を読んで、選挙のときだけの主権者であり続けるのでしょうか。

 

お願い

県庁で記者クラブに重視している政策を問われて、短くというので財政と、もう一つ「公論府」を挙げました。言論を含めた政治の仕組み、特に政党やマスメディアによって、実質的に少数の者によって国民の主権が侵されて寡頭制になってしまう、現在の仕組みに存在する脆弱性、欠陥を修正する方法として考えたものです。
比較的最近の案ですが、それでも2010年頃には着想していましたので、かなり成熟してきました。請願によって実現するために、キャンペーンを考えていまして、未完成ではありますが、この機会にウェブサイトの試作版を公開します。ぜひご支援下さい。

 

参考のために、その設置法草案の提出理由と前文の案を転載します。

(前文)
我らは、国政が日本国憲法の前文に著された手だて及び原理に従つて、真に国民の代表者によつて担はれることを切に望み、憲法第十四条、第十五条、第四十三条、第四十四条、第五十一条のそれぞれの各項の求めるところ及びその精神を尊重し、国政にかかる原理が不当に歪められることがないようにするため、公論府の開設を請願した。

(提出理由)
一 そもそも国権の最高機関たる国会は国民の代表者によつて組織されなければならず、憲法はその保障を法の下の平等を定めている第十四条、成年者による普通選挙を保障している第十五条第三項、有権者の自由意思による投票を保障している同条第四項、両議院を構成する議員は全国民を代表するとしている第四十三条、選挙人及び国会議員の資格について差別することを禁じている第四十四条但し書きにおいて与えている。この保障の下に主権者たる国民は、自らの代わりである代表者を通じて、国権の最高機関である国会を構成する両議院において、自由意思によつて演説、討論及び表決することを保障されている。かかる手だては、国政が国民の厳粛な信託によるものであるために定められているのであつて、憲政の根幹であり、厳正に擁護され、実状がこれに即するようにしなければならない。
二 主権者であり有権者である国民が多様な言論を享受できるよう保障するため、憲法第二十一条は言論、出版及び表現の自由を保障している。しかし、国民にもたらされる言論が報道機関の寡占等により制限され、実際に国民が多様な言論を享受できていないとすれば、実体において言論の自由が保障されているとは言えない。多様な言論が整理されて国民に提供されることは、健全な国民世論の形成に不可欠である。
三 公共放送が報道機関として国民の側に立つていることを保障するためには、その人事が権力から独立していなければならない。

 

 

※追記するかも知れません。

 

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